かつてはすべて“スプリングボクス”?
こんにちは。編集長です(https://twitter.com/YAMATO22224)
今回は、2010年にはアフリカ大陸初となるW杯開催も経験し、サッカー熱の高まりを見せる南アフリカ代表の愛称について考えてみたいと思います。
南アフリカとサッカーの関係
2010年、アフリカ大陸初のサッカーW杯開催地に選ばれたのは、アフリカネーションズカップ(アフリカ選手権※アジアでいうアジアカップ)最多優勝7回のエジプトでもなければ、W杯最多出場6回を誇るカメルーンでもなく、アフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国でした。
同国にとっては、1995年のラグビー(15人制)W杯、2003年のクリケットW杯(ジンバブエ、ケニアとの共催)に続く、世界的なスポーツイベントの開催。
あなたも知っていると思いますが、1990年代前半まで、南アフリカでは白人優位の「アパルトヘイト(人種隔離政策)」を推進していました。
故に、サッカーやラグビーなどのスポーツに限らず、政治・経済・文化など、あらゆる面で国際社会から反発や締め出しを受けていた。
W杯予選に初参加したのは、アパルトヘイト廃止後の1994年のアメリカ大会から。本大会に出場したのは1998年フランスW杯が初めてで、2010年の自国開催の大会で3度目の出場となっのです。
実は、かつて南アフリカ代表チームはすべて「スプリングボクス(Springboks)」という愛称で呼ばれていました。
これは、南アフリカに住む、ナショナルアニマルであるスプリングボック(カンガルー)に由来します。
現在、この「スプリングボクス」は、ラグビー代表だけを指す愛称として世界的に知られています。
そしてラグビー代表は、1995年のW杯と2007年のフランスW杯で優勝するなど世界屈指の強豪で、国内で最も人気の高いスポーツとなっているのです。
しかし、かつてラグビーは、南アフリカの黒人にとってアパルトヘイト時代を象徴するスポーツの1つでした。
そのため、この名前を廃止しようとする動きが高まりましたが、かの有名なネルソン・マンデラ大統領が断固拒否したのは有名な話となっています。
一方で、ラグビーとは区別するために、サッカーには別の愛称が付くことになりました。
バファナ・バファナ(Bafana-Bafana)
(南アフリカ代表の選手たち【引用:Getty Images】)
それでは、サッカー代表はどのように呼ばれているのでしょうか?
愛称をつける前提として、国を代表するサッカー協会と代表チームが必要ですよね?
しかし、南アフリカには長い間、全人統一のサッカー協会が存在しませんでした。
アパルトヘイト廃止後の1991年にようやくサッカー協会(South African Footballl Association)が設立され、FIFAへの加盟も承認されたのです。
(南アフリカサッカー協会)
これを期に、サッカー熱が急激に盛り上がりを見せます。
ヨハネスブルグの英字新聞「ソウェタン」氏の黒人記者がサッカー代表の愛称を付けたのはまさにこの時。
それが、
「バファナ・バファナ」
だったのです。
「バファナ・バファナ」は英語で「ボーイズ・ボーイズ」、すなわち少年たちを意味します。
この言葉は、南アフリカの人口の22%、約1000万人を占める黒人のズールー族の言葉であり、何よりも黒人記者が付けた愛称でした。
黒人記者は、初の全人統一サッカー代表に、
“年長者たちと共に育っていくチームであってほしい!”
という願いと親しみを込めて、この愛称を授けたそうです。
南アフリカのサッカーを愛している者にとって、代表チームの選手たちは人種に関係なく「少年」であり、その成長を見届けるべく応援し続けているのです。
(熱い応援をする南アフリカのサポーター【引用:越田省吾氏撮影)
(参考:『図解 世界サッカー愛称の秘密』斎藤健仁2010 株式会社光文社)
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