こんにちは。編集長です(https://twitter.com/YAMATO22224

ヨーロッパリーグに在籍するアフリカサッカー選手の中で、今最も輝きを放っている選手。

それが、セネガルの“ダイヤモンド”サディオ・マネ選手です。


(サディオ・マネ)

セネガルと言えばロシアW杯で日本と同グループになった。即ち日本としては何としても抑えたい要注意人物!

今回は、W杯に向けてのスカウティングの意味も込めてサディオ・マネ選手を特集したいと思います!


サディオ・マネって誰?

まずは彼のプロフィールから見ていくことにしましょう!

「サディオ・マネ」25歳
国籍はセネガルで、セネガル代表10番を背負う逸材。
身長は175cm、体重は69kg
利き足は右足
ポジションはFW
彼の魅力は一瞬で相手を置き去りにする抜群のスピードと洗練されたテクニック。

そして、最大の武器はその双方を活かした「突破力」です。

相手ディフェンスラインとの駆け引きもうまく、裏に抜け出すタイミングを常に伺っており、足元のテクニックにも秀でているため、相手DFが警戒して距離をとったディフェンスをすることも多いです。
自分自身の強みをよく理解し、最大限に活かし「計画通り」プレーを遂行する選手だと言えるでしょう。

僕は人の話を聞いて、プレーを見て、サッカーについて学ぶのが好きだ。僕はまだ若くて、成長過程にある。いつでもさらにうまくなりたいと思っている。毎日が、一生懸命プレーして、成功に近づくチャンスなんだ

と彼は今を語ります。

自分自身で欠点と長所を認識し、「成長し続けることのできる選手」なのですね。


サディオ・マネの原点

2歳か3歳のころからずっとボールとともに生活しているよ。道路でサッカーしている子どもたちを見つけては、そこに混ざりにいっていたんだ

と幼少期を振り返ります。

成長するにつれて、今まで「ストリートサッカー」で養われたテクニックが大きな舞台で輝き始めます。

「町で1番のプレイヤー」

そう呼ばれるほど、彼の才能は頭角を現すのです。

それと共に彼の中で「サッカー選手」になるという思いが強まっていきます。

15歳。

彼は両親の反対を押し切り、半ば強引に首都ダカールのトライアウトに商戦します。

そして、この決断が彼の人生を大きく変えることになるのです。

場違いな挑戦にもめげず

首都ダカールでのトライアルに参加した際の出来事。

マネ少年は周囲から“場違いなところに来たな!”という目で見られたといいます。

実際に、

・その靴はなんだ?
・その短パンはなんだ?
・ちゃんとしたサッカー用のショーツは持っていないのか?

こうような質問を当時のコーチに問いかけられたといいます。

しかし、サッカーだけには絶対の自信を持っていたマネ少年は、

一番いい準備をして来たんだ!

と言い放ちました。

服装なんて関係ない。ただ、純粋にサッカーをしたくて、プレーを見せたかった

と当時の様子に目を細めます。

マネの才能に魅せられたコーチは、

きみをすぐに連れていく。私のチームでプレーさせたい

と懇願しといいます。

彼はついに、かつてディアフラ・サコやパピス・シセを輩出した、セネガル最大アカデミー「ジェネレーション・フット」と契約することに成功したのです。

※・ディアフラ・サコ スタッド・レンヌ(フランス)・パピス・シセ 山東魯能(中国)


念願のプロデビュー!

2011年。

マネはついにフランス1部リーグのメスFCでプロデビューを果たします。

そして、その才能と活躍はすぐに認められ、

すさまじい速さでトップスターへの階段を駆け上がっていくことになるのです。

具体的には、

・メスFC(フランス) 19試合出場1得点(2011年~2012年)
・レッドブル・ザルツブルク(オーストリア) 63試合に出場31得点(2012年~2014年)
・サウサンプトン(イングランド) 67試合出場21得点(2014年~2016年)
・リヴァプール(イングランド) 27試合出場13得点(2016年~)

また、サウサンプトンに在籍していたころ、リーグ内でこんな記録を残しています。

それは、

「2分56秒でハットトリック達成」

というプレミアリーグ史上最速ハットトリックを記録を打ち立て、一躍時の人となったのです。




相思相愛の理解者クロップとの出会い

現在、リヴァプールの監督でユルゲン・クロップ。

その指導力もさることながら世界有数の若手タレント発掘のセンスを持つ彼はこれまでにも香川を初め、多くの無名の若者を世界のトップ舞台に引き上げてきました。

そんなクロップは2012年のロンドン・オリンピックでサディオ・マネのプレーに惚れ込むことになります。

また、マネ自身もクロップに対して特別な感情を抱いていました。

実は、マネがザルツブルクを離れる時期、サウサンプトン、ドルトムント、スパルタク・モスクワからオファーが来ていました。

特に、スパルタク・モスクワから信じられないほど高い金額が提示されたが、彼は振り向くことはありませんでした。

なぜでしょうか?

当時の彼にはクロップ率いるドルトムントからのオファーがあったのです。

ドルトムントの試合はいつも見ていたんだ。だからこそ、信じられなかった。クロップ監督が僕に会いたがっているなんて。あんなに素晴らしい人のチームにでプレーできるなんて

と、マネは当時を振り返るります。

クロップ率いられて魅力的なサッカーを見せていたドルトムントに加入することが、大金以上に魅力的だったのです。

しかし、交渉が難航し、ドルトムントとの契約は結ばれることはありませんでした。

この時から、クロップとの関係が築かれ、マネの成長のチェックが続けられました。

その後、マネはサウサンプトンで67試合出場21得点という結果を残し、レアルやバイエルンなど欧州中のビッククラブが彼の獲得を目指すことになるのです。

2016年。

そんな中、クロップは再びマネにオファーを出します。

今度はリヴァプールの監督として。

移籍金はアフリカ人史上最高額・・・3400万ポンド!(約46億円)

サッカー界で最も優れた監督の1人と一緒にサッカーができるなんて、本当に幸運だよ。運命だったんだ。今、毎日監督の指導を受けることができて、とても幸せだよ

と彼は話します。

そして現在。

マネはリヴァプールには欠かせない存在として活躍を見せているのです。

今季シーズン30試合を終え8得点。

モハメド・サラ 24得点(エジプト)、ロベルト・フィルミーノ13得点(ブラジル)、サディオ・マネ 8得点(セネガル)の強力ストライカーが今後得点を量産していくだろう。

彼のリヴァプール、セネガル代表としての彼の更なる成長に目が離せません。

そして。2018年W杯で日本はどのようにマネを止めるのか?

今からじっくりと対策を練る必要がありそうですね!




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お知らせ!

編集長が代表を務めるNGOジンバブエ侍フットボールプロジェクトがジンバブエでサッカーアカデミーを設立しました!

ジンバブエ侍フットボールアカデミー(ZSFA)とは?

ジンバブエ侍フットボールアカデミー(ZSFA)とは、「ジンバブエの厳しい環境下にいる子供達の可能性を広げる」ことを最大の目的として2018年に設立されたサッカーアカデミーです。

その最大の特徴は、編集長が4年間の間にアフリカ5ヵ国3000人以上の子供たちを指導する中で「アフリカ人の身体能力×サッカーIQ×日本人のメンタリティ」を最も効率的に落とし込むことができる「ZSFAメソッド」を使ったトレーニングだと言えるでしょう。

この“ZSFPメソッド”を通してジンバブエから世界で活躍できる選手の育成を目指します。

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