こんにちは。編集長です(https://twitter.com/YAMATO22224)。

今、アフリカにはヨーロッパを中心に本当に多くのサッカーアカデミーがこぞって進出しています。

そして、そのほとんどがセネガル・ナイジェリア・カメルーンなどの西アフリカなどのW杯出場経験を持ついわゆる“強豪国”への進出だと言えるのです。

実際に、ガーナの首都アクラ郊外にある“Right to dream”(夢見る権利)には、オランダの強豪フェイエノールトのアカデミーも併設されています。

この育成センターの狙いは、才能豊かな若いサッカー選手を発掘し、育て、卒業後はプロとしてしっかりしたプレー環境を提供することです。

そして、その中でも優秀な選手たちは、フェイエノールトの求めに応じて本拠地ロッテルダムへ送りこむか、他のヨーロッパのチームへと送り出すのです。

実は、フランス1部リーグに所属する名門、モナコも以前から同じような試みをしています。

セネガルの首都ダカールにあるサッカースクールへ投資をした結果、2002年の日韓ワールドカップ大会に出場したセネガル代表に6人もの卒業生を送り込みました。

まだまだあります。

オランダの名門中の名門であるアムステルダムのアヤックスは、南アフリカのケープタウンにあったクラブ・チームの経営権を買い取ってアヤックス・ケープタウンと改名させました。

このチームはアフリカの中でも財政的に恵まれた国内リーグである南アフリカ・プレミアリーグで常に上位争いに加わっていますが、オランダの本家アヤックスに新たな才能を送り出す、優秀な人材育成工場の役割も果たしているのです。


(アヤックスケープタウンの選手たち)

今回は、そんな中からあえて小国ブルキナファソに進出したチームのあるストーリーを見ていきましょう!

※ブルキナファソについてさらに詳しく知りたい人はこちらへ!
http://www.a-danse.jp/burkinafaso/index.html

ブルキナファソのアカデミーが起こした奇跡

“プラネート・シャンピオン・アンテルナショナル”

というアカデミーはアフリカサッカー通にはよく酒のツマミのネタとしていたるところで話されています。

その最大の理由は・・・

設立から最初の10年で、ヨーロッパ各国のリーグに13人のプロ選手を送りだしたからなのです!

もともと、この施設には、簡素な学生寮と教室、そして土のグランドがあったが、そこにPSGが目を付けて、経営権を獲得しました。

その後、チュニジアの名門チームである“エスペランス”とスイスの名門“セルベット”と契約を結び、優秀な人材にはこの両チームからパリへと続く道を提供したのです。

その結果として、ヨーロッパ各国の間に10年間で13人のプロサッカー選手を輩出し、その中には元浦和レッズに所属したブルキナファソ代表のサヌ選手もいたのです。


(サヌ選手)

最後に・・・

実は、経営の腐敗など様々な理由から現在は経営権を譲渡しておりPSGは手を引きました。

しかし、貧困にあえぐアフリカの辺境国ブルキナファソから13人ものプロサッカー選手をヨーロッパに送り込んだ実績は、後に続くブルキナファソの少年たちに大きな可能性を残してくれました。

知名度こそあまりありませんが、アフリカネイションズカップの本戦にも度々登場する強豪国です。

ブルキナファソの今後とアカデミーの動向から目が離せませんね!



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