こんにちは。編集長です(https://twitter.com/YAMATO22224)。

リバプールファンからすれば長らくレジェントのスティーブン・ジェラード選手が付けていた「NO.8」の後継者をようやく獲得できたと“ホッ”と胸を撫でおろしているのではないでしょうか?

現在(2018年9月現在)、プレミアリーグで4連勝を達成し、暫定TOPに君臨するリバプールの新たな心臓として抜擢されたのが“若干23歳”のギニア人MFでした。

あの名門バルセロナとの激しい獲得競争に勝ち、ようやくリバプールが手にしたアフリカの逸材について今回は特集したいと思います!

アフリカ出身の新たなスター“ナビ・ケイタ”って誰?

さて、まずはナビ・ケイタ選手を知らない人のために少しだけ紹介したいと思います。

ナビ・ケイタ選手とは、アフリカのギニア出身のセンターハーフです。

2013年にフランスのFCイストルでプロデビューを果たすと、その後は戦国時代の豊臣秀吉のように一気にスター街道を上り詰めます。

2014年には現在日本代表の南野選手が所属するFCレッドブルザルツブルグに、翌2016年には兄弟クラブであるドイツブンデスリーグのRBライプツィヒに移籍を果たします。

在籍した2年間で欧州最高峰の舞台であるチャンピオンズリーグへの出場を果たすなど文字通りチームの心臓として輝かしい実績を引っ提げてアフリカ人選手最高額となる移籍金で2018シーズンにイングランドの名門リバプールへとステップアップを果たした現在の“アフリカ最高”の選手だと言えるでしょう。

しかし、そんな輝かしい実績を誇るナビ・ケイタ選手もここに至るまでは順風満帆ではありませんでした・・・

貧しさと両親の反対を顧みず・・・ケイタの覚悟

ナビ・ケイタは12歳まで地元のアカデミーに所属することもなく仲の良い友達たちと共にひたすらに“ストリートサッカー”に興じていました。

当時の環境について彼は次のように語ります。

僕たちは広いスペースがあればどこでだってプレーしてたんだ。一番多いのは路上だった。だから車を避けながらプレーしないといけなかったんだ! 何度もぶつかったよ。でも、場所を失いたくなかったからそこでプレーを続けたんだ。僕とボールを切り離せるものはなかったし、ストリートで多くのことを学んだよ。スパイクは持っていなかったから、僕たちは裸足でボールを蹴っていた。たまに履いたとしても、靴はボロボロだったな。もらったサッカーのシャツは宝物だった。
僕は特に小柄だったから、すべてのことと戦わなくちゃいけなかった。プレーするチャンスを作ること、ボールを奪うこと、周囲からリスペクトを得ること……。だから、車なんかじゃ僕を止められなかったんだ。どこであっても攻撃的なプレーをしていた。それは僕のポジションではとても大切なことなんだ。今の自分にとって大切なことを、僕はストリートで学んだんだ。

そんなサッカーに没頭するナビを両親は当初快く感じていませんでした。

そもそも、ギニアはこれまでにワールドカップに出場したことがないサッカー後進国であり、たとえ自国でプロのサッカー選手になれたとしても稼げる給与はせいぜい月に5万円程度であることを知っていた為です。

“サッカーよりも勉強に専念してほしい”

ナビの両親がそのように考え、彼を説得するのは自然な流れでした。

しかし、ナビは頑なに「サッカー選手になると!」と聞く耳を持たなかったそうです。

その後、“地元で一番の選手”と呼ばれるようになり始めたころから、少しずつ両親もその才能を信じ始めたのです。

ナビが13歳を迎えるころには地元のサッカー関係者からは、

いずれはヨーロッパでプレーする逸材

という評価を受けるまでになっていました。



ヨーロッパへの挑戦と挫折

ナビは16歳の頃に初めてフランスへトライアルを受けに行きます。

しかし、そう物事はうまく進みません。

僕はうまくいったらどうするか考えていたんだ。でも現実に待っていたのはタフな日々だった。夢が叶うまであと一歩のところまで近づいたのに、突然足場がなくなって真っ逆さまに落ちて、また一からやり直しになるんだ

彼は当時をこう振り返ります。

トライアルを受けるコーチが使う“戦術用語”を理解出来ず、“良いものを持っているがサッカーIQ”が足りないという評価をなかなか覆すことができません。

それでも藁にもすがる気持ちで挑戦を続けるナビに転機が訪れるのです。

FCイストルへの入団

“ダイヤの原石”

そう高い評価の下獲得に踏み切ったクラブがフランスリーグ1に所属するFCイストルでした。

デビュー戦での1ゴール1アシストを皮切りにその才能をいかんなく発揮し、シーズン終了時には

“2人分の働きをする男”

という高い評価を得るに至ったのです。

その後の活躍とリバプールへのステップアップはもはや書く必要がないでしょう。

アフリカ出身のナビが体現する新たな可能性とは?

ここで特筆すべきは、ヨーロッパに渡った当初“サッカーIQ不足”という評価でなかなか契約に至らなかったケイタが、ヨーロッパでの練習参加の中で急激にサッカーIQを伸ばしたという事実です。

ここの成長がなければ、今のナビは存在しないでしょう。

そして、その陰にはサッカーはチームでやるスポーツ、周囲を活かして楽にプレーすることの重要性を根気強くナビに説いた指導者の功績があったのです。

さて、そんなナビですが。従来のアフリカ出身選手と大きく異なる部分があります。

どこだかわかりますか?

それは、“インテリジェンス”の部分です。

ヨーロッパでボランチを務めるには“速い判断”と“CM単位のポジションチェンジ”を繰り返す必要があります。

これまでナビほどにこのインテリジェンスと創造性を駆使してプレーする選手を未だ見たことがありません。

“頭脳とテクニックがない選手はいらない”

と明言しているFCバルセロナが獲得を熱望したことからもいかにナビの頭脳の部分が秀でているかがわかります。

ナビはまさに身体能力×高い技術×高度なインテリジェンスを兼ね備えた今後のアフリカ選手のロールモデルであると言えるのです。

ギニアに希望を・・・

さて、そんなナビですがアフリカ最優秀選手に選ばれた際に目の当たりにした自分の故郷を観て改めて次のように感じたと言います。

コナクリに戻ったとき、まだたくさんの子どもたちが靴を履かずに車を避けながらストリートでサッカーをしていた。いつもギニアに戻るときは、子どもたちにスパイクを買って帰るんだ。それがどれだけの意味を持つか、分かっているからね。ギニアには高い技術と才能がたくさんある。それが僕の誇りだよ。

彼は続けます。

僕が子どものときはデコやティティ・カマラ、パスカル・フェインドゥーノになりたいと思ったものさ。でも今は子どもたちが僕の名前が入ったシャツを着てるんだ! これほどモチベーションになることはないよ。これからも彼らに勇気を与え続けたいって思うんだ。『なんだって叶えられる』って伝えたいよ。貧乏かどうかとか、どこの生まれかなんて関係ない。犠牲を払うこと、懸命にハードワークすること、夢のために戦い続けること……。その意志さえあれば、なんだって叶えられるんだ

ギニアの子供たちに大きな夢を希望を与え続けるナビはサッカー選手としても一人の男としても素晴らしいですね。

今後、ますますアフリカサッカーを引っ張っていく存在としてAfrica soccer journalでもその雄姿を追っていきます!

★ナビ・ケイタプロフィール★

国籍:ギニア
生年月日:1995年2月10日
出身地:コクナリ
身長:172
体重:64
在籍チーム:リバプール
ポジション:CMF
背番号8

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