悲願のJ1昇格を果たし、2020-2021シーズンの開幕戦を見事に勝利で飾った柏レイソル。
名将ネルシーニョに“彼だけは絶対に手放してはいけない!”とフロントに言わしめた昇格最大の功労者。
それがケニア人初のJリーガーのマイケル・オルンガ選手です。
2019-2020のJ2最終節では京都サンガ相手に1試合8得点を叩き出し、Jリーグ記録も樹立したオルンガ選手。
若干25歳(2020年2月現在)のオルンガ選手ですがかつてスペイン1部のジローナに所属しハットトリックを記録するなどその能力は折り紙付きです。
編集長はケニアでサッカー指導者をしていた際にオルンガ選手の圧倒的な人気ぶりに衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
今回は、そんなオルンガ選手がなぜケニアでここまで愛されているのかを編集長のケニア滞在の実体験に基づいて解明していきたいと思います。
この記事は4分ほどで読み終わります!
ケニアでは多くの人から支持を受けることが難しい?
“ケニアは1人の人間が大多数の人から支持を受けることが難しい国!”
として認知されています。
その最大の理由は“部族問題”です。
ケニアにはおなじみのマサイ族を筆頭に推定で42の部族が共存し、なんと60以上の言語が存在するのです。
部族間の争いも長年続いたきた影響もあり、民族を超えて他の部族を支持するという現象は極めて稀であると言えます。
そんなきわめて特殊な環境下においてマイケル・オルンガ選手は民族を超えて文字通りケニアの“英雄”として広く支持を集め、尊敬されていました。
そして、その理由を現地で探るとオルンガ選手が持つ人間性が多くの人を惹きつけてやまないということが分かってきたのです。
具体的には、
✔誰もが羨むサクセスストーリー!
✔誰もが求める努力家!
✔誰もが驚くほど謙虚で優しい!
というものです。
それではオルンガ選手をさらに理解するために一つ一つの特徴を丁寧に見ていきましょう!
1. 誰もが羨むサクセスストーリー!
幼い時に父親を亡くしたオルンガ選手は“スラム街”と言われる非常に貧しいエリアで幼少期を過ごしました。
多くの人が現実逃避し、ドラッグや犯罪に手を染めていく中でオルンガ選手は家族の仕事を手伝いながらサッカーの練習に没頭。その結果、ケニアでプロの選手となり、海外移籍を果たすまでの誰もが羨むサクセスストーリーを達成することに成功したのです。
2. 誰もが求める努力家!
“文武両道”
オルンガ選手ほどこの言葉が似あう選手はなかなか見つからないでしょう。
オルンガ選手は自力で奨学金を見つけ、サッカー選手をしながら大学に通っていました。
彼の専攻は「地理空間工学」であり、2013年に工学士を取得しました。
サッカー選手でありながら将来のための勉学にも妥協しない彼の姿勢は多くの人の心を打ち、ケニアでは“エンジニア”の愛称で親しまれているのです。
3. 誰もが驚くほど謙虚で優しい!
オルンガ選手は毎年シーズンオフにケニアに帰国し、「オルンガカップ」という子供たちに向けたサッカートーナメントを主宰しています。
その最大の目的はサッカーを通して子供たちの夢を育むこと。この大会では、ユニホームは勿論、スパイクなどのサッカー用品も提供されます。その費用はすべてオルンガ選手が負担しているのです。
それだけではありません。
オルンガ選手は一人で懸命に育ててくれた母のために新居をプレゼントし、恩返しをしているのです。
また、ケニアの子供たちに夢を与えるためにこんな感動的なスピーチも行っています。(編集長が撮ったものです)
はぁ~なんと素敵な人なのでしょう。
彼がケニアで爆発的な支持を得ることも容易に理解できます。
そんな尊敬すべきオルンガ選手の今後の活躍を応援しましょうね!